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ぬん

なんだかんだで生活をしている。

 

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適当なチャットアプリで適当に知り合った人と話をする。なんだかなと思う。吐露できない弱さを小出しにする相手としては悪くないのかもしれない。死にたいとか口に出してみる。泣かれる。人に頼るのもよくないんだろうなと思う。頼る方が本当はよいんだろうと思うが。

 

何を食べたいのかよくわからない。あんまりご飯という気分ではない気がする。咀嚼が大変。味覚が鈍っている気がする。味がしないとかではない。味に対する感受性みたいなものだ。味に触れても喚起されるものがない。うまい、と声に出してみる。うまい気がする。買うだけ買って、ろくな下処理もせずに冷凍庫に入れる。冷凍庫に入ってさえくれれば、しばらく目を背けていいような気がしてくる。

 

チャットで知り合った人がパンクロックがすきらしい。おれもすきだと思う。ひさびさにきいてみた。違和感があった。

 

ひさびさに大学に行って、気に入っているカレー屋でカレーを食べた。いつもの注文をしたのに、すごく苦しい。胃が小さくなっている。気に入っている服にカレーの匂いがつく。おれが女ならカレーの匂いのする男は嫌だなと思う。除菌ファブリーズをする。ファブリーズは臭い。

 

除菌という言葉に弱い。きれいになったような気がする。この時世になる前からすきだったと思う。汚れている自覚があるんだろうなと思う。美しいもので飾るのではなく、自分に付き纏っている汚いものをすべて落としたい。そういう欲求があるんだろうと思う。

 

大学のシーズン的には期末ということになっている。課題が立て込んでいる。屑が、と悪態をつきながらやる。結局のところ期末ありき成績ありきなので憂鬱になる。日頃から精神をすり減らしているこっちの身にもなってほしい。なんだかんだちゃんと課題はこなす。落とすかAを取るかしかない。完璧主義なのかもしれない。そう言えばそれっぽいが、要するに調節弁がまともに機能していないんだと思う。具合がよくわかっていない。ギャグとかやらせてみると怖いものが出てきちゃう感じ。

 

さいきん頭がかゆかったのが、シャンプーを変えたら治った。人生もそういうものかもしれないが、ずっと治っていない。手がすごく荒れている。一人暮らしで水仕事のしすぎだと思う。指の第一関節の皮膚が硬くなってしまっている。興味本位で剥いてみてから、嫌な痛みが続いている。ハンドクリームを根気強く塗っている。

 

田口ランディの『生きる意味を教えてください』という本を大学近くの古本屋で買った。1000円とかだったと思う。こういうブログを書く奴がたくさんいる、みたいな書き出しになっていて、何も言い返せなかったので買った。電車とかでは読めないタイトルをしている。胡散臭い自己啓発本みたいなタイトルの本は当たりが多い。まだ読んでいない。

 

きれいになりたいな、と思う。

おまけ2

起きて、トイレに行って、歯を磨いて、冷やし中華を食べた。昨日焼いたハンバーグも残っている。昨日の昼に作った煮物も残っている。トマトパスタを食べたかった。冷やし中華にしたのは、先だと思っていた賞味期限を1日過ぎていたからだ。

 

冷やし中華を食べてびっくりする。箸で麺をとって口に近づけた瞬間に夏の匂いが鼻を抜ける。すさまじい速さで、もろもろの記憶を掘り返しながら抜けていく。実家のダイニングテーブルと窓からの景色が頭にフラッシュバックした。冷房もついている。冷凍庫にはファミリーパックのガリガリ君が入っていて、キッチンは蛍光灯。玄関にはスーパーの商品が詰まったレジ袋。

 

便宜的に「あの時のことを思い出す」、みたいな言い方をするが、思い出しているのは「その時」ではない気がしている。感じているのは時ではない。時はどうやって感じるものなのだろう。五感で時は感じられない。先行研究がたくさんありそうなトピックだが、学がないので知らない。

 

昨日の夜はみじめになりながら寝た。最悪だった。出会い系をやる気概もないので、適当なチャットアプリに目を通す。自分のことを話せるというのはすごいことだなと感じる。「任意の属性の自分に酔ってはいけない」と再三いっているが、そういう人間しかいない。特になんのセックスアピールにもならない文言を書いて投稿する。誰の目に止まるわけでもない。

 

抗不安薬をひさびさに飲んだ。効いているのを実感したことはない。どうせ小麦粉を練って固めたものなんだと思う。皮膚の薬は患部を触らせないことに目的があるから、ああやってベタベタしている。

 

抗不安薬と一緒にGABAを食べる。メンタルバランスチョコレートとかという。ビターがおいしい。舐めていると不安が一緒に融解していく感じがする。こっちは明確に効く。怖いくらい効く。今度アマゾンで箱買いしようかと思っているが、そこそこ高くなるので腰が引けている。今も一粒食べた。マシになった気がする。

 

サークルというか部活というか仕事というかの全体連絡がちょくちょく入る。なんらかの役割を期待されている。特にこのご時世、新歓ができないからいろいろ焦りがあるんだろう。なんだかな、と思う。新入生の時、いろいろ新歓に顔を出しておけばよかったと思っている。打ち込むとか寒くないか。適当にやってる方がよっぽどいいだろう。広い教室で授業に興味がない顔して関係ない本を一人で読んでいるよりはマシな大学生活があっただろう。

 

絵でも描いてみようか。芸術活動が必要な気がする。どこかしらのタイミングで画材を買いに行こうと思う。何を描こうか。

 

外に出てみればいいんだろうなと思う。月曜に病院があるので、その時には出る。

 

 

 

 

 

家庭教師の仕事がまあまあ入る。週1と聞いていたはずなのだが。時給がいいのでやる。お金があるという安心は本当に何にも代えがたいものがある。だからセレブとか芸能人は嫌いだ。彼らからすべての財産を奪ってやって、具合を観察していたいと思う。無論顔もぐちゃぐちゃにしてだ。彼らの人がいいみたいなエピソードを聞かされると胸糞悪くなる。自分はろくでもない。

 

ずっと服を買いに行きたいと思っている。予算5万円くらい。シャツが欲しい。しかし行動する意欲と体力をこのご時世に吸い取られてしまった。疲れ果てた自分を簡単に想像できてしまうので尚更だ。

 

前に付き合った彼女とは、買い物をすることが多かった。見た目がいい女だったので、いろんな服を着せた。本当に愛らしかった。自分が彼女の魅力を最大限に引き出していると自負した。いろんなものに触れさせてやりたいと思っていた。自分が彼女の世界を変えるのだと意気込んでいた。珍しく自分が好かれる側だった。

 

傲慢だと思うだろう。別に何という反論はない。いまだって彼女に説教してやりたいことばかりだ。馬鹿が、と思っているところはあると思う。

 

今の自分を見てみれば、彼女に教えられたことが生活の多くを占めている。一人で向かう先はむかし彼女と向かったところだ。彼女としていたことを一人でする。一人の不便さを嘆く。人をホストするときには、彼女をホストしたように接する。ちょうどいい雰囲気と価格帯のレストランは、むかし彼女と行ったところだ。ためらいなく奢ることができるのは、自分と一緒にいてくれる人のありがたみを知っているからだ。

 

服を買いに行く先は、彼女と行ったところしか思いつかない。試着は一人だし、財布を出す背中を押すのは自分だ。交際費がかからない分、紐が少しゆるくなった。買い物が終わったら、彼女の不吉を感じたベンチで、一人座って休む。食費がもったいないので、帰って自炊しようとか考える。

 

感傷的になっている。こういうのがモテないところだ。若い男の感傷ほど無意味なものはない。これまで付き合ってきた異性に今の自分を形作られた気がする。ワックスをつけるようになったし、悪くなった顔色を隠すために軽く化粧下地を塗る。髪の毛も染めた。今度パーマをかけようかと思っている。

 

すきな女の話を前に書いたし、今度は以前付き合っていた人のことを書いている。そういうところから足を洗えていない。人のことを信じられないと思っているくせに、ちょっと機会をうかがっているような、そういういやらしさがある。ろくでもないなと思う。

 

さいきん抗うつ音楽が嫌になってきた。というかもう聴いていない。嫌な精神状態と紐づいてしまった。いろんなものがいろんな嫌なことと紐づくから、生活の幅がどんどん狭くなっていく。顔色が最悪だったときに化粧下地を塗り始めたので、それを顔につけると具合が悪くなった気になる。

 

モデルさんになりたいな、と思う。いい顔で、いいスタイルで、いい服を着て、モテて、しあわせになりたい。都合のいい見方しかしていないし、ないものねだりしかしていない。昔の自分を美化しているとも思う。失ったものばかりだと感じる。どうしたらいいのかな、わからないね、と苦笑いする。

 

 

朝と肝(タレ)

朝は判断能力が高いらしい。朝の大切さというのは、幾つになっても身の回りの誰かしらが言っている。実際言われていなくても言われている気がする。自分を見張っている。

 

そういうわけで朝起きたら料理をすることが多い。それもカレーとかパスタとか、子供が夢に見るようなやつ。体力的に余裕があるから作っているのかもしれない。自分の一番マシな判断能力をどこに使うのかというのは、けっきょく自分が何をすきかということなのだと思う。本を読むもよし、仕事をやるもよし、恋人に連絡するもよし。起きた時一番にしたいことを思い浮かべてみるのは幸せかもしれない。眠れることが前提ではあるが。

 

朝が憂鬱ではなくなっていることに書いていて驚く。強制された朝ではないからだと思う。起きたタイミングがたまたま朝であったということ。すると差してくる朝日が気持ちのよいものな気がしてくる。それでも、とにかく明るい外が苦しいという時もあったと思う。少しは前進しているのだろうか。

 

そういうわけで作った肝(タレ)を食べながらこれを書いている。飲み物は生茶。2Lボトルが9本入ったやつを2箱毎月定期配達をお願いするようにした。今月からだ。そろそろ2箱目も全部なくなる。

 

肝は具合がむずかしい。どれくらい食べるのか、いつ食べるのか、どれくらい火を入れるのか。タイプする手を止めて箸を取ったらもうなくなっていた。お腹にじんわりとした痛みがある。あとでトイレに行く。

 

むかし恩師が「私の時代はみんながすきと言っているものをすきになるのはカッコが悪いことだった」と話していた。「みんなと違う思想を持っていることを嫌うのではないか」みたいなことを私が発言したことに対する返答だった気がする。今は自分が恩師の言うように思っている。時代の問題ではないだろう。人の問題だ。知ってるようなものをすきなものに挙げることを恥ずかしく思う。いわゆる嫌な奴である。気まずい思いもさせたくないので基本的に話さなくなる。そうやって社交の機会がなくなっていく。「気が合うね」が最上級の好意の言葉になる。

 

家庭教師の面接と体験授業とをやった。面接の胡散臭さにうんざりした。就職もこんなもんなのだろうかと思うと頭が痛い。体験授業は疲れた。その晩と翌日眠り倒した。自分が大切なことを話していると思う時には生徒の反応が悪い。きっと答えを教えてくれる具合の良い年長者が欲しいだけなのだろうなと思う。ニーズに応えることが重要なので、できるだけ相手の望む人間になっていこうとは思う。継続が決定すればだが。同年代で同大学でも語る相手がいないと感じているのだから、求めすぎなんだろうと思う。それでもいつか運命的出会いがあると思っている。甘えている。

 

別に仮に呼ばれても行かないが、母校の後輩に何か話すとしたら自分は何を語るだろうと考えることが多い。色々と言いたいことはある。でもけっきょくのところそれは言って伝わるものではないのだろうと思う。そして語れば語るほどダサくなっていく。恩師に言われたことは当時何ひとつ分かっていなかったと思う。今だってきっと分かっていないのだが。「いっぱい後悔してください」とかどうかなと思った。微妙だと思う。こういうことを考えているから呼ばれないし成功もしない。

 

今日は悪くない朝だ。いい一日になったらいいね。

 

https://www.youtube.com/watch?v=rBLSqKioHXQ&list=RDrBLSqKioHXQ&start_radio=1

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ヘヴィメタルと串揚げ

ヘヴィメタルが不安解消に効くらしい。リテラシーがないので信じてみる。TouTubeで heavy metal と検索して一番上にあるやつをクリックする。なるほど確かに効く気がする。今はそこまで露骨に不安な時ではないので実際どうかはわからない。効くと思えば効く。聴きながらこれを書いている。

 

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音楽のジャンルがいまいちピンときていない。ロックとかパンクとかに属するとされる音楽が好きっぽいが、ジャンルと言われるとなんだか居心地が悪い。思想の◯◯主義とか◯◯イズムとかもあんまりすきではない。名前はなんだっていいじゃないかと思ってしまう。教養がないからだと思う。

 

むかし恩師に「教養とはなにか」という問いをもらった。それ以降その話をすることがなかったので、どう取り組めばよい問題だったのかはわからずじまいである。今はとりあえず「なんだかよくわからないが胡散臭いな」と思える能力のことだと思っている。必ずしもソリッドな知識に裏打ちされない嗅覚みたいなものだ。でもこれだとたとえば「直感」との違いが説明できないので、答えとしてはダメだと思う。

 

人文学とか哲学とかそういうものを勉強してみたかったなと思う。学問には考え方の基本のハウツーみたいなものがあると思っている。社会を論じるときには事実認識と価値判断を区別しなさい、とかそういう。自分で適当に本を読み漁っていると、きっと都合の良い取り入れ方をしている。受け身に教わっていてはダメだというが、教わること、とにかく耳を傾けることというのにはたしかな意味があると思う。当たり前のことを言っているようだが。頭の良い人というのは人の話に耳を傾けられる人だと思っている。

 

ないものねだりばかりしている。今の自分に夢中になるだけの何かがないから、違う自分に思いを馳せるのだと思う。仕方のない人間である。自分に酔ってはいけないと再三言っている。夢中になることと酔うことはどうだろう、同じだろうか。何かあれば酔ってもいいのかもしれない。何もない自分に酔うと最悪だと思う。何か欲しいね。

 

そろそろ喫茶店に行きたい。すきな感じの店員さんがいるとこだと通う。別にいなくても居心地が良ければ通う。さいきん案外いそがしい。単純に仕事をこなすペースが落ちているのだと思う。このままゆったりと死んでいきたい。タスクは残酷なもので、どんどん溜まっていく。

 

先日、比較的仲の良い知り合いに誘われて外に出た。馬場のロータリーにはたくさん人がいた。BIGBOXで串揚げを食べた。ずっと飲んでいなかった酒を、相手に合わせて飲んだ。3000円くらい払った。もう少し何かしたそうだったので、歩きながらコンビニで酒とアーモンドチョコを買って奉仕園で雨の中つまみながら話した。相手の傘に入れてもらった。一緒にアジア旅行に行こうと話した。クラブにも行こうと言った。一人になったら濡れながら帰った。お気に入りのシャツはぐしゃぐしゃに濡れた。洗濯しなくてはならないと思いながら洗面所にずっと放置している。知り合いは案外女好きみたいになっていた。露骨ではなかったがたしかに恋愛意欲に燃えていた。自分はきっと怖くてできなくなっているだろうなと思った。恋愛とかすきな人というのは生活を破綻させるものと思っている。むかし、恩師が一度「うちは私が末代」と言ったのをなぜだか鮮明に覚えている。いま思えばきっと交際相手と最悪なことがあったのだろう。おれも自信を持って自分が末代だと言えるようになりたい。きっとまだどこかで期待している。

 

恋愛のことを書くと気分が落ちることがわかった。知り合いには会って席についたらまず前の交際相手とのことを聞かれた。嫌な奴だと思う。話したくないことを、さして嫌に感じないように整理して話した。物質的充足を安易に手に入れられる人間が良かった。自分が手を伸ばして届くのは憎しみと後悔だけである。洗濯機が回り終わったので、ここまで。

 

 

 

 

 

 

 

すきな人

Tatami Ring (22STUDIO)というやつがある。めっちゃカッコいい。欲しい。

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Tatami Ring22designstudio.net

 

服とかアクセサリーと学術書は大体同じくらいの価格だと思う。もちろん服は高いやつはもっとべらぼうに高いが。服を買いたい気持ちは山々だが、その分読めたはずの本を読めていないかもしれないという罪悪感がある。指輪に1万円。まだ早いと思っている。いい塩梅を見つけていくしかない。

 

トマト缶の中身をしっかり使い切りたい気持ちと水とか酒をあんまりジャバジャバ入れたくない気持ち。これも塩梅である。間をとると半端に汚れた缶が残る。

 

家庭教師の選考に通った。実績なしだとなかなかに書類選考を通るのも大変らしいので運が良かった。掴んだ運は逃したくない。最初から与えられないより、一度与えられたものを奪われる方が人は苦しむ。特権も似たようなものだろう。

 

自分が「そっち側」であり得たという意識が常にある。時代と場所が違えば逮捕されていたかもしれないし、障害者として隔離されて生殖能力を奪われていたかもしれない。明日には病気になっているかもしれない。自分がいま生きているのは自分が特権によって守られているからに他ならない。そういう漠然とした意識がある。だからそういう人たちが行動を起こしているときには本当に応援したいと思う。彼らは別の自分なのだ。

 

ずっとすきな人がいる。話すといつも大きなことを話してしまう。将来とか社会とか生とか。前段落の話は昨日その人と話したことだ。問題意識を共有しているというのはあるのだと思う。しかし自分はそういう話しかできないのかと憂鬱になる。きっとあんまり話したくない人だろう。でもその人と話している時の世界は猛烈に多彩なのだ。語るに値することで満ちている。そう思っているのは自分だけなのだろうが。ごくたまに、深夜に、作業をしながらしか話すことはない。

 

自分は人に恵まれている、とありがたそうに話す人たちが嫌いだ。嫌なやつだと思うかもしれないが本当にそうだ。ただの僻みだと思う。恵まれていると思えるような人たちに囲まれているということはその人がそれだけの価値がある人なのだろう。自分が嫌になる。

 

働ける気がしない。すきな人もバイトが続かないと言っていたことくらいしか支えがない。どうなっていくのだろう。ダメ人間だね、とその人と笑い合う。その人はぼくよりもずっと豊かで、これから幸せになるだろう人なのに。関係はいつも非対称だ。そう思っているから長続きしないんだろう。

 

初めて落合シェフのレトルトのカルボナーラを買った時、絶望的に美味しくなかった。2種類あるソースを片方しか使っていなかった。そりゃ不味くもなる。昨日もう一度作った。悪くなかった。お店で食べる味がした。

 

できればスパゲッティは折りたくない。折ってしまったら意味がない気がする。そう言い続けていまだに鍋のフチで焦がす。たまに折るようにした。自分が折れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「国」

生活の時間帯が後ろ後ろにずれていっている。起きて少しして食事をとると10時とかなのである。眠気がないわけではないので寝ようと思えば寝られるのかもしれないが、さすがに起きて食べて寝るのは気が引ける。

 

寝静まった空気というのは本当にあると思っている。騒音の有無の話ではない。同じ暗さでも7時の暗さと12時前の暗さは違う。

 

寝静まった空気の中では穏やかでいられることが多い気がする。もちろん具合を崩すこともあるが。波の立っていない状態。見たい動画を見て、聴きたい音楽を聴く。食べたいものを食べる。おれは自由だ。

 

崎山蒼志の「国」という曲がある。「五月雨」で一躍有名になった彼である。「『万人受けしない』と万人に思わせられるアーティスト」みたいな言われ方もした。しかし実際「五月雨」以降はひっそりと活動をしているように思う。もちろん十分に大物ではあるのだが。その崎山蒼志の「国」という曲が先日歌詞つきで再びYouTubeにアップされた。

 

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やさしい詩だなと思った。詩は誰かに語りかけているようである。「君」は誰を思いながら歌っているのだろうと考える。彼自身なのかもしれない。人にはそれっぽくアドバイスができる。自分が苦しいときも、人を支えることはできてしまったりする。悩みがあるときには、その悩みを持った他人にどうアドバイスをするか考えろという。客観視しろということだろう。人にはやさしくできても自分にやさしくできない人たちがいる。ストイックとかいう話ではない。自分を見るための取っ掛かりとしての他人。その想像上の他人に私たちはいる。おこぼれをもらっている。

 

アーティストの主題というか、何をみているかみたいなのがあると思う。たとえば「自分」かそれ以外かという区切り方。わかりやすい大御所を例に挙げるなら、サカナクションは前者で、Official髭男dismは後者だ。似た話として「(ぼくには言えてない)ありがとうばかりで」(『ココロノナカ』)と書いた野田洋次郎と「ごめんなさいばかりで」を思う人とがある。何かとてもテリングじゃないだろうか。

 

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客観視をしてみれば、というか遠くから見れば大したことじゃないことばかりなのかもしれない。楽観的だろうか。客観視を持ち上げているのではない。客観とかそういうものが好きそうな顔をしている人間は嫌いだ。ただ、自分を見ていると自分に酔ってしまうんじゃないかなとは思う。かわいそうな自分とか、最低で救いようのない自分とか。自分が「人 カッコ イコール自分」を見ることに意味があるのかもしれない。目線を下げてお腹のあたりをじっと見てみるのではない。鏡越しに自分とにらめっこするのとも違う。どう見ることなのだろう。わからない。言葉の使い方が雑だ。「遠くから見る」という自分の先の表現に何かヒントがある気はする。主観・客観という二分法ではない何かだ。

 

扱いきれないトピックに手を出してしまった。あんまり理屈っぽくすると整理のなってなさと説得力のなさが目立って気分が悪くなる。粘土みたいなもので、触りすぎると乾燥してダメになってしまう。自分が納得できればよいのだ。大事なのは自分にとっての真実だと思う。憎しみと後悔と未解決事件と。