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すきな人

Tatami Ring (22STUDIO)というやつがある。めっちゃカッコいい。欲しい。

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Tatami Ring22designstudio.net

 

服とかアクセサリーと学術書は大体同じくらいの価格だと思う。もちろん服は高いやつはもっとべらぼうに高いが。服を買いたい気持ちは山々だが、その分読めたはずの本を読めていないかもしれないという罪悪感がある。指輪に1万円。まだ早いと思っている。いい塩梅を見つけていくしかない。

 

トマト缶の中身をしっかり使い切りたい気持ちと水とか酒をあんまりジャバジャバ入れたくない気持ち。これも塩梅である。間をとると半端に汚れた缶が残る。

 

家庭教師の選考に通った。実績なしだとなかなかに書類選考を通るのも大変らしいので運が良かった。掴んだ運は逃したくない。最初から与えられないより、一度与えられたものを奪われる方が人は苦しむ。特権も似たようなものだろう。

 

自分が「そっち側」であり得たという意識が常にある。時代と場所が違えば逮捕されていたかもしれないし、障害者として隔離されて生殖能力を奪われていたかもしれない。明日には病気になっているかもしれない。自分がいま生きているのは自分が特権によって守られているからに他ならない。そういう漠然とした意識がある。だからそういう人たちが行動を起こしているときには本当に応援したいと思う。彼らは別の自分なのだ。

 

ずっとすきな人がいる。話すといつも大きなことを話してしまう。将来とか社会とか生とか。前段落の話は昨日その人と話したことだ。問題意識を共有しているというのはあるのだと思う。しかし自分はそういう話しかできないのかと憂鬱になる。きっとあんまり話したくない人だろう。でもその人と話している時の世界は猛烈に多彩なのだ。語るに値することで満ちている。そう思っているのは自分だけなのだろうが。ごくたまに、深夜に、作業をしながらしか話すことはない。

 

自分は人に恵まれている、とありがたそうに話す人たちが嫌いだ。嫌なやつだと思うかもしれないが本当にそうだ。ただの僻みだと思う。恵まれていると思えるような人たちに囲まれているということはその人がそれだけの価値がある人なのだろう。自分が嫌になる。

 

働ける気がしない。すきな人もバイトが続かないと言っていたことくらいしか支えがない。どうなっていくのだろう。ダメ人間だね、とその人と笑い合う。その人はぼくよりもずっと豊かで、これから幸せになるだろう人なのに。関係はいつも非対称だ。そう思っているから長続きしないんだろう。

 

初めて落合シェフのレトルトのカルボナーラを買った時、絶望的に美味しくなかった。2種類あるソースを片方しか使っていなかった。そりゃ不味くもなる。昨日もう一度作った。悪くなかった。お店で食べる味がした。

 

できればスパゲッティは折りたくない。折ってしまったら意味がない気がする。そう言い続けていまだに鍋のフチで焦がす。たまに折るようにした。自分が折れた。