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いろいろ

むかしに比べれば、がんばりすぎずに継続することができるようになってきた気がする。このブログもそう。人との関係も趣味も一人暮らしもそう。筋トレも続けている。盛り上がりすぎないことが大切なんだろう。

 

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ちょっと具合を崩したら休む、そういうこともできるようになった。少し休もう。

 

おれは思いつきのエネルギーがだいすきなのだが、これはなんといっても持続時間が短い。30分とかだとおもう。一日それを続けることがあっても30分くらい立ったタイミングで冷静になりはする。その後は半分自分を鼓舞しているとおもう。すきなものと実際は違う。コンセプトではきのこの里がすきだが買うのはたけのこ。思いつきのエネルギーを統制することが生きていくコツなんだろうと思っている。思いつきで全部もっていっちゃう人、うらやましい。

 

すこし前にいい夢をみた。滅多に話さないすきな女と仲良くしていた。夢の中ではハラハラすることが多い。何かイベント事の最中にいる。日常は何もない。夢を現実に持ち込まないことが大切だ。夢で会った人と現実でうまくいくことは少ない。夢と現実に境界線なんてあってないようなものなんじゃない、ともう一人の自分に言われる。文章だったらそういうアイデアで何か書いてみるかもしれないが、そういう余裕はない。

 

「自分(の言っていること)に一貫性を持たせるために自分(の言っていること)に本気じゃなくなる」ということがあると思っている。論理的に単純であろうとするために、本心でないことを本心らしく言う。死刑の議論で「車で人をはねたら車にはねられるべき」というステートメントに賛成しちゃうのがそう。そんなに簡単じゃないよね。

 

「難しい、と苦笑できる人になってね」と指導の時にいつも話している。迷惑な教師だろうとおもう。そんな簡単に答えは出ないよね。意味のある「わからない」に出会ってほしい。「答えを教えてくれるお兄さん」じゃなくてもお金を払ってくれる生徒というのは貴重だ。一生懸命講釈を垂れようとおもう。

 

最近は本を読めていない。昔の貯金で生きている。講釈も昔の貯金から出している。自分が本を読める体調というのは最高か最低のときだけになっている。どちらも健全ではないだろうなとおもうが、このときの価値は高い。人生の大半は情報収集のための読書になっている。いい読書をしたいなと思いながら積読を背にパソコンに向かっている。

 

鶏胸肉を茹でるんじゃなく焼くことにしてみている。レモンをかけて食べる。おいしいよ。