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実家にて

実家に戻っている。

 

生活が一人暮らしの時と変わったかといわれれば怪しい。別にやっていることは変わらない。ただ近くに親がいるかどうかというだけである。親との関係が最悪じゃないことは、ありがたく思わなくてはならない。

 

いろいろあった。人に話す時どう話したらいいものかと思う。話すことはないけれど。

 

指導していた生徒はもうすぐ卒業試験を受ける。なんだかんだ半年以上教えていた。教えるというかおれが講釈を垂れていただけだが。もともとは数学を担当するということになっていたが、なんだかんだ数学はそんなに教えていなかった気がする。たぶん成績もそんなに上がっていないだろう。それは置いておいておれの話に金を払いたいと思ってくれたということである。許されている。すごい。

 

生徒はけっきょく一人だけを持っていた。バイトというか道楽である。生きるためにやるのはうまくいかないだろうなと直感している。教職とかはできないだろう。

 

自分ができることに熱心になりすぎるのがよくないことだと思っている。できるというほど大したことではなくて、そこから排除されないという程度なのだが。自分がいて良いのだと思うと、いろいろなことを気にして、関わって、けっきょく体力だったり精神がもたない。受け入れられる体験が少ないから、舞い上がってしまうのだろう。

 

舞い上がりの一つの帰結として、所属団体の体質というか構造というかを問い直したいと思っていた。良くも悪くもその構造によって成立してきた側面はあるので無闇につつくものではないのだが、一度思いが至ってしまうとその病理を気にせずにいられない。その病理自体にはずっと前から気付いていたわけで、それの受け止め方とでもいうべきだろうか。

 

大事なことは別に理屈がどうという話ではなく、共感の問題だと思っている。これはおれの感想です。

 

問い直すのなんのは、ほんとうにつつくべきじゃなかったと思っている。半端に話を通し始めたせいで退くに退けなくなっている。議題としてはおれの利益のためではないのだが、けっきょく見栄を張っているだけかもしれない。見栄を張っていると自覚しながら人と話をするのはたいそう気分が悪い。

 

さいきん脚が動かないことがままある。去年末くらいから気になっている。めちゃくちゃ気合を入れると動く。軽いクララみたいな。調べてみたら転換性なんとかとかいうらしい。原因はストレスらしい。あちゃー。

 

深夜にパソコンを叩いているので何をしているのか聞かれる。日記を書いていると伝える。納得はしていないようである。

 

また書きにくるよ。では。